ようこそ、長久手へ
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愛知県は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑がでたところです。このうち、豊臣秀吉と徳川家康が唯一対決したのが「小牧・長久手の戦い」です。これはどのような戦いだったのか、簡単にまとめてみました。
■発端は「本能寺の変」
天正10年(1582)6月、天下統一の途上にあった織田信長が家臣の明智光秀の手にかかり、京都の本能寺で討たれました。その後、後継者を巡って家臣たちの間で争いとなり、羽柴(後の豊臣)秀吉と、信長の次男信雄(のぶかつ)を支援する徳川家康が戦うこととなりました。
■両雄、長久手で激突
天正12年(1584)4月、秀吉軍と家康軍は、それぞれ、犬山(愛知県犬山市)の楽田(がくでん)と小牧山(小牧市)に陣をしいて対峙していましたが、秀吉軍の別働隊が家康の本拠岡崎に向けて侵攻したことから長久手の地で激突することになりました。この戦いで、秀吉軍は池田恒興(つねおき)・元助(もとすけ)父子、森長可(ながよし)といった有力武将を失い、長久手合戦で勝利した家康は小牧山に戻りました。
■天下は秀吉の手に
天正12年11月、「小牧・長久手の戦い」は、秀吉が信雄に和睦を申し入れ信雄がこれを受けたため幕を閉じました。翌年、秀吉は関白となり全国統一を推し進めていきます。一方、家康は秀吉政権下でも別格の地位を保ち、徳川政権樹立の足がかりを固めていきました。
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